少数派の流す涙

 セルビアからの独立を求めるコソボ自治州が、今月中旬にも欧州諸国の支持を背景に独立を強行する姿勢だという。
人口の9割を占めるアルバニア系住民のかげで、自治州内には少数民族としてセルビア系住民が残る。コソボ南部、マケドニアとの国境地帯にあるムシュニコバ村では、多数派のアルバニア系住民のなかで、セルビア系の老人たちがひっそりと暮らす。
 紛争前、村にはアルバニア系とセルビア系とが2:1の割合で暮らしていた。紛争中も両者の間に衝突は起こらなかったが、セルビア人のほとんどは紛争後村を出て行ったという。現在残るのは老人60人ほど。周囲からは完全に孤立し、生活に希望も持てず無力感にさいなまれて細々と暮らしている。
紛争後からコソボを統治してきた国連機関による生活保護は月40ユーロ(約6000円)。コソボの独立後、残留した彼らセルビア系住民に支払われるこうした保障金がどうなるか、説明はなされていない。
【ニュースソース: 2008 02.09毎日 朝刊】


 セルビアの政治家は首都ベオグラードで、独立反対を声高らかに叫んでいるというが、現状の厳しさを、身をもって経験しているのは罪のないこうした人々である。国と民族、大きなもの同士の対立の陰で犠牲になるのは名もなき個人である。「生活が苦しいのならばセルビア系の多い地区に引っ越せばよい」というのは想像力のない外部からの一般論の押し付けである。かつての住民のなかには、住み慣れた地を追われる辛さを背負いつつも、新しい土地で必死に仕事と住処を探し、1から人生を構築しなおした人々もいる。しかし、70代、80代の老人たちにはそうしたエネルギーも、チャンスも残されてはいない。

 ひとつの民族・地域が圧迫を強いてきた国から独立することは、華々しく画期的な解決である。そこには自由を夢見た人々の苦しみと流血の歴史がある。しかし、国家という枠に縛られ苦しむのは、独立側の人々だけではない。アルバニア系とセルビア系市民のあいだに共通して横たわるのは、自分の力ではどうすることもできない悲しみの経験、小さな個人の流す涙である。