「政治とカネ」

週刊現代の最新号に福田総理の脱税疑惑が掲載されている。同誌が安倍前総理の辞意表明と時を同じくして、前総理の脱税疑惑を報じたこともまだ記憶に新しい。我こそが批判精神を体現していると言わんばかりの書きぶりに若干冷めた気持ちも覚えなくはないが、こういった記事を出せることは素直に評価したい。

 政治家といえばカネがらみのスキャンダル、というのはヒットソングの中にも歌われる程に浸透しているイメージであり、また事実でもある。毎年、何度こうした報道に接するかわからない。一向に根絶される気配がないこの状況を見れば、国民が政治を信頼できないのも無理からぬことだと思う。

 国民の代表である政治家がルールを守らず、私的な目的に金銭を費やすことは許されるべきことではない。報道機関が積極的に取り上げ、問題視するのも当然そうすべきだと考える。しかし、それだけでは「政治とカネ」の問題が解決に至ることはまず期待できないだろう。
 
 政治にはとにかくカネがかかる。選挙に関連した表の活動から、権謀術数渦巻く裏の活動まで、その全貌は現在の私には計り知れないが、「まともな」政治活動を送るには、相当の額が必要であることだけは認識できる。だからといって、「必要悪」と単純に片付けろというのではない。どういったところでカネが必要なのかについては深く突っ込まない報道機関の姿勢を問題にしたいのだ。

 政治と、その背景にある日本社会の構造。ここについても分析を加え、全体を概観した上での「政治とカネ」の位置づけと解決策を提示すること。ここまで行って初めて、活きた批判が出来るようになると思う。